かつての被災地 神戸からのメッセージ
私の住まう宮城県では、1978年に宮城県沖地震で倒れたブロック塀に下敷きになった二十数名の方が犠牲になりました。
1995年 阪神・淡路大震災では都市災害として多くの被害と約六千名の犠牲者がでました。多くの教訓を残して。
その後、新潟・中越、宮城内陸地震、昨年のチリ津波等多くの自然からの警告がありましたが、今回の東日本大震災では、必ずしもそれらの教訓が生かされていなかったと思います。
2万数千の犠牲
果てしなく続く海岸部被害のみならず広く内陸部での地滑りや家屋・工場等の被害
沿岸部住居等の壊滅、浸水による塩害・汚泥
あまりに大きすぎる傷痕。なかなか進まない再生構想
しかし、被災地では日々、みな希望を持って前に進もうと努力しています。
壊滅的打撃を受けつつも、その苦しみから復旧を果たしてきている神戸から、東日本のみんなにエールと期待のメッセージが届きました。
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20110724ddlk28040240000c.html