選挙後の活動は別のブログに開設しました。

選挙終了後の活動については下記記載してあります! http://ameblo.jp/takayoshi-kikuchi/

大納涼祭

今日は高校の同窓会でした。

大納涼祭

今夜は高校の同窓会でした。熱血 元氣復興にかけるパワーをみなぎらせます。

自衛隊撤収式

8月1日 災害派遣に出動していた自衛隊の撤収式がありました。昼前に宮城県、午後には仙台市の撤収式でした。自衛官自身も家を失い、家族を失ったかたも多くいましたが、ひたすら任務遂行にあたった彼等の姿に感謝と畏敬の念を感じざるを得ません。ただ、た…

かつての被災地 神戸からのメッセージ

私の住まう宮城県では、1978年に宮城県沖地震で倒れたブロック塀に下敷きになった二十数名の方が犠牲になりました。1995年 阪神・淡路大震災では都市災害として多くの被害と約六千名の犠牲者がでました。多くの教訓を残して。 その後、新潟・中越、…

村井知事

今日、津波により消失した地域代表の方々が、宮城県知事に要望書をお渡しするため県庁を訪れました。ご自身も一切の家財を失われた仙台市議会議員・元議長の大内久雄先生ご引率のもと、地域代表として各町内会長さんたちが、安全・安心な集団移転先の選定、…

7月30日 町内夏祭り

夏祭りの時期になりました。復旧・復興への希望を感じます。仙台すずめ踊りのお囃しと躍動がさらに元気を高めます。

7月30日 銃剣道

全日本高校銃剣道大会が岩沼市立岩沼中学校で開催されました。地震により岩沼市民体育館が使用できないことからの会場設定です。でも同中学校は瓦屋根作りで、いかにも武道競技大会といった雰囲気です。 全国の技を鍛えた若者達の姿が力強くも美しい。

7月29日 プール当番 

夏休みが始まり、学校のプールが開放されました。懸念された放射能の影響はないとの教育委員会からの見解が出たからです。妻が仕事でいないため、輪番での補助監視にいきました。子供達の安全で健やかな成長を見守るのは大人の責任です。 放射能に不安に感じ…

地下鉄駅前

今朝は地下鉄線駅前で、いま思うところを話してきました。この地区出身にして友人の塾長・「森淳」君が応援で一緒に立ってくれました。]

仮設住宅

仙台市にはまだまだ空きの仮設住宅があります。津波に車も流されてないため、買い物に不便な場所は敬遠されているようです。

街頭に立つ

復旧・復興に全力をあげるべきいま、躊躇と逡巡をしている場合ではない。 まして、政治、行政は高邁な理念と徹底した使命感を基調にして、英知結集のための中核にならなければならないのです。

夏祭り

7月22日の卸町商業団地の夏祭りです。震災から復興する意気込みと希望を感じます。

地域の消防訓練

7月23日、若林区霞目にある波分神社の周辺3コ町内合同による消防訓練です。毎年参加者多数とのことですが、今回は例年に増して多いらしいです。消防署による講議の後、これまでの職務経験を踏まえ、今回の震災の概要と教訓、救助・救援活動などについて…

看板

後援会事務所を場所を改め再開したばかりですが、後援会の皆様のご支援はひとかたならぬもので、ただただ頭の下がるばかりです。駐車場の案内板を作るとのお話を聞いてはいましたが、すべて手作りでここまでしていただけるとは…感動。

青葉城跡

伊達政宗公の拠城仙台城は青葉城とも呼ばれ、天守閣は設けなかったものの、天然の要害を活用した難攻の城で、戦術的にも興味を惹かれます。 震災により政宗公の銅像には影響はなかったようですが、城の石垣が痛み、仙台市街地からの最短の道路は閉鎖中です。…

7月20日 波分神社

地元、仙台市若林区霞目にある「波分(なみわけ)神社」です。その昔、今回と同じような大津波が来たとき、この神社を波が避けたということから、名付けられたとの故事があります。 地域の人々の生活を見守りつつ過去の教訓を伝えてくれています。 だいぶ報…

7月15日

暑い日が続きます。空は水色。真夏のごとき太陽の光線が眩しい。宮城県護国神社のご神職に一昨日、東京は靖国神社のみたま祭に詣でたことをお話すると、当社は毎年職員で七夕飾りを作成し靖国神社にお送りしているとのこと。おおっ、記憶に新しい。確かに仙…

明治、靖国

昨日から今日まで強行軍でだいぶ歩きましたが、得難い時間でありました。昼間の東京はあまり歩いたことがなかったです。 さて、明治100年生まれで、元自衛官の私ですから、道中、明治神宮と靖国神社に参らないわけがありません。 明治神宮。 あさみどりに…

東京回り

昨夜、話に熱が入り新幹線に乗り遅れ(!)たおかげで、お世話になっている方々、また、旧友たちに会う機会を得ることができました。昨年12月の退職も、その後の市政への挑戦の準備も本当にバタバタだったので、特に、首都圏にいる方々へのご挨拶は十分に…

震災後、初の上京

震災のボランティアで知り合った首都圏の方のご紹介で、異職種間の交流と知見の交換をする会に参加させていただきました。参加者持ち回りの講話の形をとりはじめて3年にもなるそうで、それぞれのエキスパートである先生、事業家、芸術家と幅広い方々がお集…

4か月が経過

あの3月11日から4か月が過ぎました。一見すれば、雨水排水の西側は緑に彩られ、何事もなかったように見えますが、仙台東部自動車道路の向こうは別世界です。がれきの残置、暑気が厳しくなるにつけ増す、匂い、ハエ・虫の増殖等と現地では苦しい状況が続…

後援会事務所再開 再始動

3月11日に発生したM.9の巨大地震と大津波により休止していた、「菊地たかよし後援会」活動を再開することに決し、本日後援会の事務所開き(再開)を行いました。 被災後、百ヶ日を経て、4ケ月ぶりの事務所再開ではあるものの、華美を排して淡々と開催…

復興への希望と放射能

大震災で学校の体育館や市民センター等が避難所に、また、公園や運動場が仮設住宅地になりました。被災者の方々の生活のため必要不可欠な措置です。さらに、学校そのものが被害を受け使用できず、他校を間借りして教育を再開しているところもあります。これ…

仙台市まちづくり意見交換会

朝、東京からの救援物資を避難者、ボランティア、民生委員、元消防の方々とともに某市民センターで荷卸し、配分・輸送。 冷凍食品だったのにもかかわらず手袋を忘れていったため、作業時手の冷たいこと。 作業管理上の不十分を反省・・・ ここでは引き続きボ…

教 訓

実戦「防災危機管理」“危機に立ち向かった男たち”の著者の武田能行氏が被災地の研究のため仙台にこられました。 (写真中央。写真右は現代戦略・近現代史研究家の鎌田徹氏) 氏は、あの阪神大震災時、京都の連隊長として即日神戸市に出動して人命救助にあた…

東日本復興応援コンサート

「東日本復興応援コンサート IN 宮城」として有名な芸能人の方々約30名がボランティア演奏活動をしてくれました。宮城県では多賀城市と仙台市の3か所です。そのうちの一つである元保養施設の避難所では、5月28日から仮設住宅等への移住が始まったこ…

機関誌「防災プラス」からの発信

「防災プラス《Bosai Plus》」という機関誌があります。3年前、東京にいたときに出会った、防災関連のビジネスニュースレターです。広範なニュース・情報から重要な話題を収集・選択、一覧・一読できるよう編集されています。取材、研究、熱意ともに頭が下…

被災小学校に羽ばたく希望

仙台市若林区の南部海岸線から約1.5Kmに位置する某小学校は100名に満たない、少人数の小学校で、地域を思う父兄とともにとても教育熱心な学校と聞いていました。あの津波により学校は海水にのまれ、現在は同学区の中学校の一室に間借りしての教育を…

仙台市若林区の仮設住宅

仙台市若林区に設置された仮設住宅の一部です。 仙台市は5月28日に説明会を開き、入居予定者に鍵を渡したそうですが、多くの方が「大安」の6月2日と8日に避難所からの引っ越しをしたそうです。被災者の多くのかたから、安全で、比較的元の住まい近い仮…