追想録(3/12 ④ )

【3月12日(土)学区内某中学校の状況】

某中学校に行くと、同じく校庭には車が駐車してありますが、他校に比して少なく感じます。明るいうちに家の中の被害復旧と必要資材をとりに帰っているのかなと想像。

懐かしく見慣れた景色のはずが、遠方に黒煙があがっています。
方位・目測により仙台港多賀城方面と思われます。

あの周辺には石油コンビナート、火力発電所があるのです。
かつて多賀城駐屯地にも勤務していたので地の利があります。(ただ、多賀城駐屯地まで冠水したとは全く知りませんでしたし、正直予想もしていませんでした。)

やはりここでも食糧が不足してるのが見受けられます。

トイレはバケツにためられた水で流す状況。

いろいろな連絡・統制事項が数か所に掲示されている!

廊下では多くの避難者が聞けるよう転倒防止のガムテープで机に固定されたラジカセから大きな音でラジオ放送が流されていました。

継続的に情報を入手し広報する極めて適切な処置と感心です。

最上階から見渡すと、先ほどの黒煙の状況がより見ることができ、火災の規模が大きいことがわかります。

なぜかふと、湾岸戦争の光景が思い出されました。

近隣への延焼、重油の流出、汚染も懸念されます。

広域大規模災害に疑いなく、消防は手が回らないのではないかと心配。

電気の生きていた東京などでは、ヘリコプターによる映像がオンタイムで流れ続けていたのですが、ライフラインのほぼ途絶した仙台では、全国的な大被害を予測しつつも、十分に知る由がなかったのです。

大津波警報は段階的に注意報にまで下げられたので、当面の危機に関し幾分安心はしましたが、がれきに埋もれている人や、波を漂っている人がたくさんいるであろうことは十分予測され、少しでも多くの命が救われることを祈るのみでした。

救助活動に従事する方々の二次災害もないことも祈りつつ。せめて雪がやんだのが救いと思いながら。