青葉城跡

takayoshi-k2011-07-23

伊達政宗公の拠城仙台城青葉城とも呼ばれ、天守閣は設けなかったものの、天然の要害を活用した難攻の城で、戦術的にも興味を惹かれます。


震災により政宗公の銅像には影響はなかったようですが、城の石垣が痛み、仙台市街地からの最短の道路は閉鎖中です。(遠回りをしなければなりません。)

また、招魂塔の鷲も落ちてしまいました。


西には、ビルと山の合間に何事もなかったような太平洋と平野が遠望できますが、沿岸部はいまだ行方不明者がいて、ガレキと汚泥が残り、内陸部でも多くの建物が傷痕を残しています。


遠景に錯覚してはいけない。

7月20日 波分神社

takayoshi-k2011-07-20

地元、仙台市若林区霞目にある「波分(なみわけ)神社」です。

その昔、今回と同じような大津波が来たとき、この神社を波が避けたということから、名付けられたとの故事があります。


地域の人々の生活を見守りつつ過去の教訓を伝えてくれています。


だいぶ報道機関にもとりあげられていますが、本日も全国ネットの取材。



温故知新

現代社会に反映すべき古人からのメッセージが、まだまだ全国にあると思います。

その声に耳を傾け、真剣に取り組むことが求められています。

7月15日

takayoshi-k2011-07-18

暑い日が続きます。

空は水色。真夏のごとき太陽の光線が眩しい。

宮城県護国神社のご神職に一昨日、東京は靖国神社のみたま祭に詣でたことをお話すると、当社は毎年職員で七夕飾りを作成し靖国神社にお送りしているとのこと。

おおっ、記憶に新しい。確かに仙台生まれの私には見慣れた七夕飾りが正門に飾られてました。

みたま祭の終了後は、仙台に返却(撤饌(てっせん)??)され、8月の仙台七夕で改めて飾られるのだそうです。


知りませんでした。

明治、靖国

takayoshi-k2011-07-13

昨日から今日まで強行軍でだいぶ歩きましたが、得難い時間でありました。

昼間の東京はあまり歩いたことがなかったです。



さて、明治100年生まれで、元自衛官の私ですから、道中、明治神宮靖国神社に参らないわけがありません。
明治神宮

あさみどりに近い晴天に、わがふるさとの復旧・復興を祈念。


しかも、靖国神社は今日から年に一度の「みたま祭」ではありませんか。

市ヶ谷勤務時代に、夜、仕事を抜け出し参って以来です。

タイミング良すぎます。昨夜の講話含めてお呼ばれしたのかもしれません。

東京回り

昨夜、話に熱が入り新幹線に乗り遅れ(!)たおかげで、お世話になっている方々、また、旧友たちに会う機会を得ることができました。

昨年12月の退職も、その後の市政への挑戦の準備も本当にバタバタだったので、特に、首都圏にいる方々へのご挨拶は十分にできていません。

本来、4月に戦いが終わり、礼を失した方々へのご無礼ご無沙汰をお詫びする予定のはずが、今回の大震災でさらに遅れています。


でも、久しぶりにお会いできた皆様は、被災地の窮状を心から心配し、何度か東北に足を運ばれた方もいました。また、私の中途な身をも案じてくださいました。


日本全国みな家族、みな仲間です。


さらには世界の人々も今回の災害を気遣い、多くのメッセージとボランティアをしてくれています。

今回の大災害を通じ世界も家族、兄弟との意識が広がりはじめている気がします。

震災後、初の上京

震災のボランティアで知り合った首都圏の方のご紹介で、異職種間の交流と知見の交換をする会に参加させていただきました。

参加者持ち回りの講話の形をとりはじめて3年にもなるそうで、それぞれのエキスパートである先生、事業家、芸術家と幅広い方々がお集まりです。

今回のお題は、「専門家ではないが地震原子力について語ろう」で、専門家ではないといいながら、かなり専門の皆さんがご講話されます。

地震津波、建築、医療、原子力放射能

それぞれに携わって来られた方々による非常に参考になるお話です。


私は、被災地仙台市若林区から来た元自衛官という立場から、避難所で運営支援をしながら見た被災地の状況といまだ抱える問題点、今回ひたすら献身的に任務にあたった自衛隊の行動について、紹介させていただきました。



(写真は同席させていただいた、デザイナーの女性にお願いして撮影していただきました。ありがとうございました!)

ひとつ打ち明けますと、後援会事務所の再開を突発的にしたばかりなので、講話準備がおぼつかず、新幹線の中で人目を気にしながらプレゼン作業し、上野駅あたりで概成(バッテリー切れ5分前!)したのでした(汗)

ただ、被災地の者として市民の目線から見た事実と、自らも家族・家を失いながらひとりでも多く、少しでも早く被災者を助けたいとの思いで任務にあたる自衛官の真摯な姿と内なる気持ちを少しでも伝えたい、と、揺れるパソコンに向き合いました。



講話は、かなり早口だったなあ、と反省してます…。