東京回り
昨夜、話に熱が入り新幹線に乗り遅れ(!)たおかげで、お世話になっている方々、また、旧友たちに会う機会を得ることができました。
昨年12月の退職も、その後の市政への挑戦の準備も本当にバタバタだったので、特に、首都圏にいる方々へのご挨拶は十分にできていません。
本来、4月に戦いが終わり、礼を失した方々へのご無礼ご無沙汰をお詫びする予定のはずが、今回の大震災でさらに遅れています。
でも、久しぶりにお会いできた皆様は、被災地の窮状を心から心配し、何度か東北に足を運ばれた方もいました。また、私の中途な身をも案じてくださいました。
日本全国みな家族、みな仲間です。
さらには世界の人々も今回の災害を気遣い、多くのメッセージとボランティアをしてくれています。
今回の大災害を通じ世界も家族、兄弟との意識が広がりはじめている気がします。
震災後、初の上京
震災のボランティアで知り合った首都圏の方のご紹介で、異職種間の交流と知見の交換をする会に参加させていただきました。
参加者持ち回りの講話の形をとりはじめて3年にもなるそうで、それぞれのエキスパートである先生、事業家、芸術家と幅広い方々がお集まりです。
今回のお題は、「専門家ではないが地震、原子力について語ろう」で、専門家ではないといいながら、かなり専門の皆さんがご講話されます。
それぞれに携わって来られた方々による非常に参考になるお話です。
私は、被災地仙台市若林区から来た元自衛官という立場から、避難所で運営支援をしながら見た被災地の状況といまだ抱える問題点、今回ひたすら献身的に任務にあたった自衛隊の行動について、紹介させていただきました。
(写真は同席させていただいた、デザイナーの女性にお願いして撮影していただきました。ありがとうございました!)
ひとつ打ち明けますと、後援会事務所の再開を突発的にしたばかりなので、講話準備がおぼつかず、新幹線の中で人目を気にしながらプレゼン作業し、上野駅あたりで概成(バッテリー切れ5分前!)したのでした(汗)
ただ、被災地の者として市民の目線から見た事実と、自らも家族・家を失いながらひとりでも多く、少しでも早く被災者を助けたいとの思いで任務にあたる自衛官の真摯な姿と内なる気持ちを少しでも伝えたい、と、揺れるパソコンに向き合いました。
講話は、かなり早口だったなあ、と反省してます…。