追想録(3/11 ① )

【3月11日(金)14:46分頃】

夕方からの取材を控えながら、地区の町内会長さんと国道4号線沿いの歩道を歩いていました。

そのとき、周囲からゴーォッという地鳴りが響き、ユサユサユサと地面が動き揺れは強くなり、心の中で、『大きい。宮城県沖か!?』 

約37年の周期で来るそれは、30年以内に99%と想定されており、常に現職自衛官の頃からいつでも出動できる物心両面の準備をしていたため冷静でした。
しかし、4号線バイパスの車や照明灯の激しく揺れ動く様を見て、一瞬子供たちと家のことが頭をよぎりました。

『転倒防止の金具等は持つかな?』
向かいのビルは豆腐のようによじれながら大きく揺れる揺れる。

いったん揺れが弱まりかけたと思ったら、また強くなってました。
『被害が大きくなる。災害派遣か。』
現職でもないのにその意識はまだ体にしみついてました。

左前方20m先のブロック塀が道路に倒れ、灰色の粉じんがバフッと舞い上がる。


長い揺れが終わりかけたとき、3度目の揺れが。
これには私自身まったくの予想外で
『ええっ、まだ揺らすの? いつまで!?』
といった感じでした。ひたすら長い長い揺れでした。

地震が収まった後は、しばし、車も人も動かない不思議な静寂とうっすら土煙の風景。

早くも霞目駐屯地からヘリコプターが飛び立つ音が聞こえました。航空偵察と映像伝送の任務機でしょう。

町内会長さんと別れ、それぞれの自宅に向かいましたが、途中、工場から黒い煙が。
火事だ!と走っていくと、外に出ていた人々が消火器をもって入っていきましたので、まずは安心と自宅へ向かいました。

途中、路上のマンホールのふた部分周辺が数センチ隆起して車は走りにくく、信号は消え、壁や電線が落ち、多くの人は家の外に出て呆然としていました。
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