追想録(3/11 ② )

【3月11日(金)帰宅〜津波

家に戻ると、家族は外に出ており、幼稚園バスから降りたばかりの娘は、我が家に来ていて地震にあった音楽家の智子ちゃんに抱えられながらも泣きじゃくっていました。
ほどなくして息子も小学校に迎えに行ってくれた弟の車で帰宅。家族の無事を確認。火気なし。

走って回り、ご近所の安否を確認。玄関先に靴箱が倒れた家には最小限退避口を確保し、家門に座り込み泣きじゃくる女性には注意事項について声をかけ、また走る。

後援会事務所に行くと、部屋にいられない、と近くのマンション等の方が駐車場に次々と避難。

みなそれぞれラジオに聞き入り、続く余震に警戒して30分も過ぎた頃か、海の方から宮城県警のヘリコプターが飛来し、上空からのスピーカーで「津波が来ます。高台に上がってください!」と叫びながら西の方向に通過し、国道4号線沿いにぐるぐる飛び回り警戒を呼び掛けている。

現職時代、中央でも災害対処のための各種計画策定に携わってきたし、津波被害が予想される宮城・岩手の沿岸部は上空と地上から何度も偵察していたこと、自衛隊では、陸・海・空自及び関係機関と連携した図上・実動の各訓練に早くから力を入れてきたことから発災後のシナリオと心の準備はできていたものの

『 ついに津波まで来てしまったか。
  果たしてここまで来るか? 
  仮に東部自動車道路を越したとしても衝撃力は低下するはずだから、命を脅かす可能性は低いと信じたいが。
  避難する、あるいはさせる場合、車での移動は交通渋滞となり逆に危険だから近傍マンションの上階に避難誘導するのが最善であろう。
  パニック防止に留意しつつ、正しい情報収集の後、行動を。 』

という状況判断が頭を巡り、車のワンセグTVにスイッチを入れると、小型画面いっぱいに映し出された茶色の波が次々と家を飲み込み、自動車道路にぶつかって河に流れ込む様子が生中継で放送されていました。

極めて深刻な事態になったと察したとき、なかば横殴りの強い雪が降りだし、灰色に揺れ動く雲に太陽が覆われ、何に対してか『過酷な追い討ちでは・・・』という思いが去来しました。

【3月11日(金)(決心)】

数波にわたり襲い来る津波を強く警戒したものの、しばらくの情報収集の結果、その脅威は少し低減したと判断。雪は止んだが寒い。


避難か自宅退避か。


避難所はおそらく一杯であろうと推測される。幸い自宅と後援会事務所の水は出る。

家族一室にて夜を越すことを決心し、暗くなる前、応急的に仮眠準備と備蓄食糧・資材(水、備蓄食料、懐中電灯、予備のラジオ、電池、石油ストーブ(こんな日のため捨てないで数個保管しておいた)、救急セット、手袋、スリッパ)を暗闇・余震でも掌握できるよう廊下に集積

台所は割れたコップ等で危険なため、翌日明るくなってから復旧するとし立ち入りを禁止

弟夫婦も国道4号線より西にあるアパートから合流

ラジオの断片情報以外、情報が入らない。(ワンセグTVは車でしか見れない!ガソリンもあまり残っていない!)

行政・警察・消防・自衛隊が被害情報を逐次収集しているはずだが、今夜は行政で集約された十分な発表は出まい。明日の夕程度には被害の概要が明らかになるだろう、と考える。

まずは救援活動に全力を尽くし一人でも多くの人を救っていただきたいと祈りつつ、区の広報車による指示を待つが静寂のままである。

父は町内会の被害状況の確認を、弟は家の守りと後援会事務所(駐車場に家にいられない方の車3〜40台位?が退避)及び公会堂の開放・ケアを、小生は今後の避難等に関する行政からの細部指示を確認するため、ラジオと懐中電灯を手にして避難所となっている近傍の小学校へ向かう。